Zhang Weiguo先生の日本滞在レポート:中国江蘇省医療研修成果報告
昨年、私たちの教室に3カ月間滞在したZhang Weiguo先生の日本滞在レポートが日本国際協力センター(JICE)の報告書に掲載されました。そのレポートを転載させていただきます。
氏 名:張衛国(Zhang Weiguo)
研 修 期 間:2015 年 9 月 7 日~2015 年 11 月 20 日
研 修 病 院:順天堂大学医学部、順天堂大学医学部附属順天堂医院
診 療 科:画像診断・治療研究科
指 導 教 官:椎名秀一朗先生
担 当 医 師:清水遼先生
2015 年 8 月 30 日から 2015 年 11 月 25 日までの 3 か月、2015 年江蘇省衛生国際(地 域)交流支援計画江蘇省—日本国際協力センター事業の研修生として、江蘇省衛生及び 計画出産委員会と蘇州大学附属第一医院の支援の下、著名な順天堂大学附属医院で 3 か 月の研修を受けた。主な研修テーマは、肝臓と心血管の画像学に関連する技術であり、 同時に医局のマネジメントについても学びたいと思っていた。この、忘れ難い 3 か月の 研修生活が終わろうとしている今、日本で学んだことを総括し、以下に報告する。
1.訪問・視察
研修初日、JICE 本部にて山野理事長が我々一行十名を温かく迎え、歓迎会を催して くださり、内藤さんや大岡さんなど JICE の方々が、研修の目的や日程など事の大小を 問わず詳細な説明をしてくださった。
二日目からの約一週間は、厚生労働省、医薬品医療機器総合機構(PMDA)、放射線医 学総合研究所、東京女子医大、医療機器メーカー テルモを訪問した。
これらの訪問を通して、日本は医療費が GDP に占める割合が比較的低く、対人口病床 数は先進国の中で最も多いということを知った。現在、日本の医療体制は比較的良好な 状況にあるということだが、地域ごとのバランスや医師不足などの問題を抱えている。 42 これらの課題を解決する方法についても、病院、病床及び機能分化・強化や地域医療構 想など前向きで新しい構想を推進しようとしている。同じように高齢化社会に突入しつ つある中国の医療にとっても、参考になる事例である。また、医師の育成や地域指導の 点でも、参考にするべき内容は多い。専門医はよりその専門性を高め、総合診療医は広 く総合的に疾患を診察し、地域医療に従事する医師への提起も目新しい。PMDA の訪問 では、日本独特の薬品及び医療機器管理の安全トライアングルについての紹介を受けた。 それはリスクを監視する審査部、リスクを軽減する安全部、損害の救済にあたる救済部 という三つの部門である。管理の現状への自信を感じた。放射線医学総合研究所と東京 女子医大先端生命医科学研究所では、日本の最先端技術について知り、感嘆至極だった。 日本の科学者は研究に専心し、やり抜く精神がある。我々が学ぶべき点だ。第一週目の 導入研修は楽しい箱根の旅を最後に終了した。日本の伝統的な食文化や礼節を味わうこ とのできた旅だった。日本文化の多くは中国を源としているが、日本人の伝統保護に対 する姿勢に深い感銘を受けた。
2.専門研修
9 月 7 日、各自の専門に基づき、それぞれの医療機関で我々10 名の研修が始まった。 私の研修病院は順天堂医院の画像診断・治療研究科だった。順天堂大学は東京にある日 本で最も早く創立された医科系単科大学のひとつで、170 年の歴史を有する。5 つの附 属病院を有し、うち「順天堂医院」は診療科が最も充実し、強力な実力を有する病院で ある。天皇陛下の執刀医である天野教授もこの病院の医師である。
私が配属された画像診断・治療研究科は主に肝腫瘍の診断及びラジオ波治療法を行っ ており、日本はもとより世界最大の RFA 治療センターである。私の指導教官である椎名 秀一朗教授はラジオ波治療分野の世界的権威であり、1 万例以上もの肝臓のラジオ波治 療を行ない、数多くの難治症例の治療にあたってこられた。専門分野については言うまでもなく、椎名先生の仕事に対する責任感は尊敬せずにはいられない。ほとんど毎日の ように 12 時間以上仕事をされ、夜中の 12 時以降も度々オフィスで仕事をされていた。 世界のトップに立ちながら、椎名先生は温和で、非常に親しみやすい方だった。私が医 局に入ると、先生は私のためにデスクを用意して下さり、ネットワークの ID を申請す るよう秘書に指示してくださった。そのおかげで文献の閲覧が非常に便利だった。その 週末、全医局の医師と関係者が一堂に会し、日本料理の店で私の歓迎会を開いてくれ、 とても感激した。椎名先生は時間があるときにはいつも話しかけてくださり、専門に関 すること以外にも、中国の医療事情や社会の発展状況などについて話を聞いてくださっ た。また今後、江蘇省の医療機関とラジオ波治療に関するより深い協力関係を結ぶこと に同意してくださった。医師や秘書もとても親切にしてくれた。3 か月の研修で、医局 の方々と深い友情でつながった。
画像診断・治療科では、肝腫瘍の診断とラジオ波治療を最も多く学んだ。毎週全院の 教授会がある火曜日以外は毎日ラジオ波治療があった。手術の前日、担当の医師は術前 の詳細な計画を説明してくれる。患者の CT と MR の読影から始まり、腫瘍の診断と位置 決め、CT と MR が示した腫瘍部位をもとに、超音波を使って病変部が位置する肝臓の亜 区域を見つけ、ラジオ波治療時に大事な血管や臓器に影響を与えないかどうかを予測す る。また、人工腹水法を用いる必要があるか、どのような体位にするか、穿刺経路等々 を討議する。この数か月の研修や討論を通して、肝腫瘍の画像診断がより確実になった と実感できた。そして、画像診断は必ず臨床の実際と密接な関わりを持たなければなら ないこと、治療の指導という方向に発展しなければならないことを強く認識した。治療 の際、超音波で見つけにくい病変に対しては LOGIQ E9、CT、MR などを駆使してナビゲ ーションすることがある。超音波と CT 或は MR の画像が一致しても、依然として CT 或 は MR の画像が指し示す部位に超音波像に認められる腫瘍が見つけにくい場合、超音波 造影剤 Sonazoid を用いて診断する。私の理解に間違いがなければ、EOB-MR と超音波造影を併用したナビゲーションを採用して肝臓のラジオ波治療を行うことができれば、ラ ジオ波治療分野のナビゲーションの最先端技術ということになる。帰国後、この技術の 普及を積極的に進めていこうと思う。ラジオ波治療の翌日、私が所属するチームでは椎 名教授の下、CT チェックミーティングを行う。治療の効果と合併症がないかどうかの 評価を行う。こういった不断のフィードバックにより、肝臓のラジオ波治療の術前、術 中及び術後の画像評価に対しより良い認識が生まれた。また、超音波、CT 及び MR を併 用したナビゲーション技術を習得し、肝臓のラジオ波治療の原則と技術についてより深 く理解することができ、多くの複雑なラジオ波手術に対する新たな認識が生まれた。
ラジオ波手術のない火曜日終日と木曜日の午後は、放射線診断科で学んだ。ここでは、 日本で十余年行われてきた EOB-MR を何度も見学し、造影剤注射の原則、動脈相の偽病 変の処理における日本の医師たちの経験を学んだ。木曜の午後は不定期に CMR の一般検 査のフローなどを見学し、心血管の医師と CMR 画像について検討を行い、彼らの診断に おける原則を学んだ。放射線科の医師と話をしているうちに、日本の放射線科の設置と 中国のそれとは違いがあることがわかった。参考にできるものがあるかもしれないと感 じた。まず、日本は専門診療科の色彩が濃い。順天堂医院の神経放射線科は単独の部門 で、神経の画像診断と治療を独立して行っている。また、心血管の画像診断は心血管内 科の医師が行い、放射線科は検査を行うだけである。腹部画像チームの教授は画像診断 に携わりながら肝臓、腎臓の低侵襲治療にも関わる。しかも、超音波と核医学はいずれ も放射線科に属する。ここでは多くが系統と器官を分類の根拠にしている。これは中国 のほとんどの病院が、超音波科、核医学科、放射線科のように設備を基準に区分されて いるのとは異なる。日本の方法は専門診療科の発展にとって非常に有益である。知識面 の広さ及び多くの画像技術を理解していることが根拠になって、日本の放射線科の医師 は自分の専門に自信を持っていると感じた。
病院の研修でもう一つ感じたのは、医師と患者が互いに相手に対し礼を以て接しつつ 親しい関係にあるということである。日本の医師は非常にまじめで責任感が強く、患者 のプライバシー保護にも非常に気を使っている。順天堂医院で研修を受けている間、専 門知識が大きく進歩し、専門診療科の設置と発展に関する自分なりの理解ができた。ま た、中国で更なるご指導をお願いするため、帰国後は積極的に椎名先生の招聘を進めた いと思う。
3.帰国後のアクションプラン
臨床面では積極的に超音波科、介入科と連携し、マルチモード画像下肝臓ラジオ波治 療、ラジオ波治療後の画像評価の研究、肝特異性造影剤の肝腫瘍診断及び治療中の応用 研究、肝臓及び心臓の画像検査のフローの標準化などを積極的に進める。また、診療部 門の専門科化を推進する。
国際協力では、順天堂医院との関係を活かし、順天堂医院と江蘇省の各大病院との協 力と交流を推し進めたい。また、肝腫瘍の診断と治療のための国際マルチセンタープロ ジェクトを推進する。
4.まとめ
3 か月の日本研修は非常に有意義で忘れ難いものになった。多くの専門知識や先端技 術を学んだのみならず、より大きく変化したのは、考え方だった。視野が広がり、海外 の同業者が何をしているか、どのようにやっているのかを知ることができた。また、海 外の医師たちと交友関係を結ぶことができ、多くの教授が長い間自分の専門を貫いてき ている現場を見た。そのことがきっかけで、自分も何かの分野を極めようという決心が ついた。これら考え方の変化は、今後の私個人の生き方や専門レベルの向上に大きな影 響を及ぼしていくだろう。